【ひなたのこども】第19回『ゲームもいいかも!』

夫が忙しい理由

最近ひろさんがなかなか帰って来ません。

仕事は、定時に終わる時もあるし、21時過ぎる時もある。
必ず終わったら電話をくれます。

なかなかなのはここから。

以前は電話があってから1時間ちょっとで帰宅していたんだけど、最近は1時間半以上かかっている。

その理由は、

ポケモンを捕まえているから!

ぴよが7月の誕生日にポケモンのDSソフトを買いまして、そこからひろさんも何となくポケモンGOを開始。
今更ながら、ハマったらしい。

私はやらないのでよく分からないのだけど、普通の道よりも公園とかにポケモンがいるとのことで。
帰り道に会社近くの公園で知らない人と(バーチャルな世界で)協力して敵?ポケモン?を倒してるらしい。
人気のない夜の公園でスマホをいじる大人…明らかに、このバーチャル上の仲間はあそこにいるあの人だよねって思いながらやってるらしいのよね。
現実には挨拶とかしないんだけど。

更に、うちは神社やお寺の多い地域にありまして、そういうところもポケモンの出るスポットらしくて。
夜、突然近所の神社に行ってしまうことも。
「◯◯寺に△△(ポケモン)が出るらしい!」と言ってぴよと一緒に捕まえに行ったり、
「モンスターボールがないとポケモン捕まえられない」と言って、モンスターボールを集めに行ったり。

そんなんで、ぴよはパパが会社から帰って来るのを以前より心待ちにするようになりました。
「お帰り」の前に「ポケモンは!?」って言うけど。

でもね、なんだか2人、ポケモンを通じて和気あいあいと楽しそうだし、会話が弾んでいるし。
羨ましいくらいなので良いのです。

以前もこんなことがあったような…?と、4年位前の妖怪ウォッチを思い出しました。
ウォッチが人気すぎて、もう事件だった。
当時幼稚園年少だったぴよも妖怪ウォッチ大好きでウォッチを欲しがって。
どこのおもちゃ屋で入荷するのか調べ、ひろさんは朝4時ぐらいから並んでゲットしてました。
大変だけど楽しかったらしい。
ぴよと一緒にブームを楽しんでいた。
社会現象とも言われるほどの人気だったから、今となってはその時代、ぴよのその年齢の、良い思い出。

【ひなたのこども】第18回『感情について その2』

一般社団法人育ちネット多文化CROSSの代表及び臨床心理士の初田美紀子さんのラジオ番組にゲスト出演し、『感情』についてのインタビューを受ける機会がありました!

そこで感情について、考えました。

感情について②

できれば「怒る」より「叱る」を実行したいところ。
その思いは、前回書きました。

でもその一方で、それとはまた違った思いが存在しています。

これは超個人的なことですが、自分自身が子供の時のことを思い出してみると、母親に感情を出して欲しかった。

諭すんじゃなくて、「お母さんはこう感じる!」っていうことを教えて欲しかった。

これはいけないことだというのではなく、これをしたらお母さんがどう感じるかを教えて欲しかったんです。

まあ、私の母は父がちょっとケアが必要な状態だったこともあったり、
私自身内気すぎて親にも感情をなかなか出さない子だったりというのもあるのでしょうが、

母が感情を私にぶちまけたという記憶は一切ありません。

でも私の子供達は感情オープンタイプなので、そうはいかない。

子供の叫びと私の叫びが重なって怒りムード増し増しになることもしょっちゅうある。

私も、子供に自分の感情を認めてもらいたいんです、きっと。

子供に、親である私の感情を認めてもらおうとするって、どうなんでしょうかね。
小学生のぴよならともかく、2歳のとんに対してまで。

私は、認めてもらうために、せめて怒っている時、できるだけ「ママは」と最初につけようと思ってます。

ママはなんで怒っているのか、こう感じているからなんだっていうのを子供に甘えて、子供に認めてもらおうかな作戦です。

そうやすやすと認めてなんか貰えませんけどね!

でも、
「あんた何やってんの!」「さっきもダメって言ったでしょ!」「馬鹿じゃないの?!」「何回言ったらわかるのもう〜!」
って、あなたが悪いあなたが悪いということだけをぶちまけたら

「自分は悪い子なんだ。ママが悪い子だって言ってる」っていう悲しい気持ちしか残らない。

「ママはこう感じる」って言ったら、「えっママが感じていること?」って心が動くんじゃないかな。

だって子供は無条件にママが大好きだから。

もし感情に任せて怒りを爆発させてしまったと感じたら、冷静になった時、子供に謝るようにしたい、いや、しよう。

さっき大きな声で怒ってごめんね。
ママは◯◯ちゃんとこうしたかったんだって、プラスの言葉で伝える。

そこで子供の感情はプラスに動くかもしれない。
子供は感情でできているから、プラスの感情がつながっていけばママも子供も、大丈夫だ、という気がするのです。

最後に、これはインタビューでも答えたことですが。

私にとって「感情」とは

真実の部分。

幼い頃にはそれだけで生きていた、原始細胞。

 

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【ひなたのこども】第17回『感情について その1』

一般社団法人育ちネット多文化CROSSの代表及び臨床心理士の初田美紀子さんのラジオ番組にゲスト出演し、『感情』についてのインタビューを受ける機会がありました!

そこで感情について、考えました。

感情について①

人間の見えない部分は感情でできていると思っています。私が子育てしていて思うのは、
子供は感情でできていて、感情を表現することで生きているということ。そしてその感情の大元や向かう場所、エネルギー源は同じ「ママが大好き」
「パパが大好き」
「だから私を見て。認めて」ってことだとも感じています。一方大人は、同じように感情でできているにもかかわらず、生きているうちに身につけた常識やら世間体やらしがらみやらで、感情をコントロールするのが正しい大人のあり方だと学んでいます。

そしていろんな場面で湧き出てくる自然な感情を、これは抑えなきゃ、これは表現しておかなきゃみたいに、自分でうまく選んでいくことで、人とうまく関わりあってうまく生きている。

子供は、そんな大人の前にある日ポンと現れて、培ってきた自制心をいとも簡単に打ち破るんです。

よく子供に対して「怒る」ではなく「叱る」ことが大事、と言われますよね。

「感情的に怒る」ってことをすると、子供が萎縮して、一番安心できるはずの親に対しても自分を出せなくなってしまう。
怒りの感情に任せた言葉はマイナスの言葉、相手を否定する言葉しか出てこないので、子供は大好きな親から自分そのものを否定されたと感じてしまう。
さらに「あんな風に感情を爆発させて良いんだ」と学んでしまう。

感情的にならずに、何が悪かったのかどうすべきなのかを示して教えると、子供は自分を否定されたと感じることもなく学ぶことができる、と。

確かにその通りだと思います。

でも実際、頭ではわかるけれど、日常でそんな余裕は正直ない時の方が多いです。

子供の年齢や性格によって悩みは違ってくるだろうけど、私に関して言えば、特に2歳前後の自己主張の始まる時期は、子供のやってることが理不尽すぎて辛いことが多い。

外では目的地なんて無視していきたい方に行ったり、

阻止すると「あっちいくー!!」とひっくり返って何十分も泣いていたり、

お店ではこれを買うと商品握りつぶしたり騒いだり、

バスや電車でも車両が乗りたい色じゃなかったなど、ちょっと思い通りにいかないとスイッチ入っちゃったり、

家でも料理をわざとひっくり返したり、

用意してないものを食べたいと頑としてきかなかったり・・・

私は頑張ってるのに!ってなる。
途方に暮れる時もある。

多分、多くのママがそうなってると思います。

子供のわがままや反抗に対して私たち大人がイライラしたり、「なんでいうこと聞けないの?」「なんでそんなことするの?」「もうイヤ〜!」って感情を爆発させてしまうのは、なぜかというと・・・

子供のことが憎いからではないですよね。

自分が都合悪いからです。

自分が気持ち悪いから。

日常的なこと、例えば「夕飯の前にお風呂に入る」ってことひとつでも、大人としては思い通りなスムーズな流れでいってくれれば早く寝られるとか、寝る前の遊びの時間ができるとか、メリットも思い浮かべつつ子供を促すわけです。

その方が、自分が気持ちいいから。

だけど、子供は目の前のことが全てだから今の遊びをやめない。
やめる意味なし、だから今お風呂入るのはイヤってなる。

そこで、
「なにやってんの!いつもいつも!早くお風呂入んないんなら夜遊ばないよ!絵本も読んであげないよ、知らないよ!」
となるか、
「ママは夜◯◯ちゃんと絵本読んで寝たいな。だから今一緒にお風呂に入りたいな」
と自分の気持ちを冷静に伝えられるか。

あ、冷静に伝えたからといって子供が言うこと聞くわけじゃないですけれどね。

でもそれを繰り返していれば、伝わると思います。

子供のことが好きって思い、感情が。

あなたを愛している、ということが伝わることそれが日常的に繰り返されると子供は嬉しいし、自分は大丈夫だと、ママがいるから大丈夫だ、と思う。
もっとママが好きになる。

本当はそうしたいのに、あまりにも感情直球でぶつかってくる子供を前に、わたわたしてしまうのです。
今日も私はわたわた中。

次回に続く。

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【ひなたのこども】第16回『授業参観(算数編)』

授業参観・算数編

ぴよが3年生になり、早くも2回目の授業参観でした。
今回は算数の授業。ただいま割り算を勉強中です。

今の算数は「1つ分の数」×「いくつ分の数」=「全部の数」という考え方なんですね(私の時もそうだったのかな?忘れているだけかもしれませんが)。

数を文で説明するからややこしい。

「32個のプチトマトを8人で分けると、1人分は何個になりますか」
「全部の数32」÷「いくつ分の数8」=「1つ分の数4」
みたいな。

で、授業は割り算の問題を作る、という課題でした。

32÷8=4
の問題を作りましょう。

かわいい女子は
「32個のマカロンを8人で分けると1人分は何個ですか」

女子力の高さが伺えます。

ある男子が
「ドラえもんにする!先生ドラえもんって何て数えるの?」

早速脱線が始まる。

先生
「ドラえもんは1台、2台だね。」

夢を壊す。
1人2人って言っておこうよ。
そもそも複数いないけれども。

別の男子
「本が32本・・・」

先生
「本は本じゃないの冊なの。難しいよね。」

数え方の単位が次々と脱線を促す。
けど国語の勉強にもなっている。

女子
「えんぴつが32本ありました。8人で分けると1人何本ですか」
先生
「とてもいいねー!」

ほっ、本題に戻った。

さらに別の男子
「オレ大谷選手にする!」
先生
「大谷選手32人いる・・・?」

浮かんだものを言っちゃう男子最高。

その男子
「大谷選手は、台?!」

人間よりドラえもん寄り!

3年生面白すぎる。

ちなみにぴよは

「おもちゃ屋さんに32台の任天堂switchがありました。8人の子供に配ると1人何台でしょう」

「台」で合ってるけどな。
1人4台もいらないよな。

【ひなたのこども】第15回 『断乳!』

断乳!

とんが保育園に入園して1ヶ月半。だんだんと慣れてきたようではあるけれど、最初は泣かなかった朝も「夕方までママと会えない」ことが分かってくると泣くようになりました。

毎朝がっしりと私にくっついて泣くとんを、先生がベリベリっとはがしてバイバイする感じ。

先生に聞くと、泣いている時間は少しずつ短くなっているらしいです。
でもやっぱり号泣しながらのバイバイは辛い。

保育園の喧騒の中でも、とんの泣き声がいつまでも私の耳に響いてきます。

そんな中、ゴールデンウィークが明けたタイミングで先生からあるお話がありました。

「おっぱい、やめてみませんか?」

そうです、とんは2歳8ヶ月現在まで、夜寝る時はおっぱいで寝ていたのです。

ぴよの時も3歳過ぎるまで夜授乳して自然卒乳だったので、特にこだわりもなく「とんもそんな感じになるのかな」とか、「保育園に通うようになったらなおさら、家でおっぱいという安心材料があると日中も落ち着いていられるかな」と勝手に思って続けていました。

あとは、私が楽だから。
おっぱいは眠くなる作用もあるから、大きくなればなるほど寝かしつけが楽だったりしたし。

先生が断乳を切り出したのは、確かな考えがあってのことでした。

まず、保育園でのとんの様子を見ていると、お友達の中に入っていきたい気持ちはあるけれどうまくお友達と関われなかったり、先生に心を委ねることができなかったりという感じが見られる。

それは、とんが保育園という社会に出て行こうとしているのを、ママのおっぱいが引き止めているのかもしれない、と。

2歳の男の子として、先生やお友達と関わることに関心はあるのだけど、やっぱり不安や恐怖は付きまといます。

そこで「ママのおっぱいがある」という安心感は、心の安定につながるというよりも、むしろ赤ちゃんに引き戻し、社会に出て行きづらくしている可能性がある、とのことなのです。

おぉぉぉ。
この考え方、今まで全く気が付かなかった!

そして私の中にストンと落ちていった。

そうか、それだ!って。

断乳・卒乳についてはどの時代も本当に様々な意見があって、どれが正解かはないのかもしれない。
その子の環境、成長度合い、性格などによって最善策は変わってくるものなのでしょう。

0歳や1歳で、職場復帰や母親の病気など、やむをえない事情があって断乳する人もいる。
それもその子にとっては最善。

一方、「おっぱいは差し出さず、拒まず」で自然卒乳を進める考え方もあり、それも最善。

母乳を飲まなくなる世界平均年齢はなんと4.2歳なのだそうですよ。

私ととんの場合は、2歳のタイミングで保育園に入り、自分から親以外の社会に入ろうとしているとんを赤ちゃんに引き戻すことは本意ではありせん。

園でのとんの様子を見て私にまっすぐ向き合ってアドバイスをくれた先生たちに感謝しています。

その場で私は「今日からおっぱいやめます!」と宣言しました。

そしてその帰り道から、とんに「今日から寝る時おっぱいやめようね。とんはもう赤ちゃんじゃないからね」と言い聞かせる。

寝る時まで2〜3回お話ししたと思います。

その度にとんは「いいよー」と軽く答えるので、本当にわかっているのか不安でしたが・・・

いざ夜が来てみると、
最初とんがいつものように「おっぱーい!」と言ったので、「ほら、今日からおっぱいないんだよ」というと、それ以上言ってきません。

何度か「おっぱいないの?」と聞くので「ないよー」というと納得するという流れを繰り返し、なんとそのまま寝た!

次の日も、その次の日も、結局おっぱいで一度も泣くことはありませんでした。

さぞかし泣き叫ぶのだろうと思っていたけど・・・、とんは私が思うよりも大人だったらしい。

私の心構えが全くないまま急に実行し完了したとんの断乳。

あー、最後におっぱいした時、どんな顔して、どんな話しして、何時頃寝たんだっけな・・・。
寂しいのは私の方だった!

とん、おっぱい卒業おめでとう。

【ひなたのこども】第14回 約束を破ってしまった

ぴよとの約束を破ってしまった。

寂しさ悲しさは細胞の記憶として一生を支配するような気がして、怖い。

ごめんね、ぴよ。

「細胞の記憶」

先日、夜寝る前に、ぴよがすごろくを持ってきて、「明日これ一緒にやろうね」と言ってきました。

とんが昼寝している間か、DVDでも見ている間にそーっと抜け出して1回ぐらいできるだろう、と思い「そうだね。明日やろうね」と約束。

でも実際は無理だった。
とんは最近一段と甘えっこで、ちょっとでも私の姿が見えないのに気が付くと大泣き。
もちろんすごろくなんかはすぐにグチャグチャにしちゃうから、一緒にはできないし。

ひろさんもいる休日だったので、結局ひろさんと2人でやってもらいました。

「パパと2人でやってくれる?」とぴよに聞いたら最初は「嫌だ。」と言ったんだけど、
とんにすごろくを荒らされ、そっちのほうがすごく悲しかったようで「いいよ。」と言い直しました。

ごめんね。
ごめんね。
また約束が守れなかった。

後から私が「ごめんね」と言ったら、「いいよ。」とさらっとしていました。

でもね、こういうのって、細胞の記憶に残ることを私は知っている。

脳の記憶は、都合よく忘れたり、ふとした瞬間に部分的に思い出したりするけれど、細胞の記憶は思い出さない。
だけどその人を作っている。
そんな気がします。
(科学的なことではなく、私の主観です)

私自身。
「お母さん、こっちを見て」
と訴える細胞がある。
たぶんその細胞たちが、これまでの苦しかった体験〜摂食障害や父への壮絶な嫌悪など〜を産みだしていたのでは、と思っています。
(それについては、書ける時期がきたら書きます。
または、ちょこちょこ話題に絡めて小出しにします。)

ぴよは、今回私が約束を破ったことはすぐに忘れてしまうでしょう。
この先同様のことがあっても、今回のように私をさらっと許してくれるでしょう。

でも、細胞が悲しみ、それを記憶し、後々ぴよの体を作っていき、私のように蝕まれてしまったら・・・・・
そんなことを考えると怖くてたまらないのです。

ぴよは子供のころの私と違って、笑顔で「ママ大好き」と言ってくれるから、それに甘えて「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせている。

でも、ぴよの寝顔を見ているときとか、ぴよを感情的に怒ってしまったときとか、
日常のふとした瞬間に、大丈夫が揺らぎ、恐怖が襲うのです。

私が娘の奥底にインナーチャイルドを埋め込んだ気がして、もう取り返しがつかないような気がして、怖くて怖くてたまらない。

ぴよ、本当にごめんね。

【ひなたのこども】第13回 運動会

「運動会」

ぴよ、小学2年生の運動会。

すべてが全力です!

運動会

土曜日はぴよの小学校の運動会でした。5時に起きて久々にお弁当作り。
といっても、子供は教室、家族は校庭か一部開放している校内で食べるので、そんなに気合の入った重箱弁当は要らないのですがね。2年生の出場種目は、玉入れ・徒競走・表現(エイサーの踊り)・リレー(選抜選手のみ。もちろんひよは選抜外)・大玉送り。運動会で私が心を動かされたことは2つ。

1つ目は、ぴよが終始一所懸命だったこと。

応援にしても、競技にしても、踊りにしても。
周りの子がどうしてるかは全く関係なく、本気で応援し、一心に取り組んでいるのですよ。
太鼓を持ちながら踊るエイサーも、まぁ、リズム感などの問題?でキレッキレとは言わないまでも、太鼓をたたくだけの場面でもお尻フリフリ、ノリノリ。
後から聞いたら「前日の練習の時、先生が”リズムに乗って体を動かしたほうが良い”って言ってたから」だって。
低学年ならでは、なのかな?
年齢が上がるにつれて周りに合わせたり、学校行事に対して冷めた目が生まれてしまったりするのかな。

二つ目は、ぴよの悔し涙×2回。

1回目の涙は50mの徒競走で。
6人中3位で私はよくやったと喜んでいたのだけど、3位の旗の後ろに並んでいる時、泣いている!
それを見つけた1年の時担任だった先生が駆け寄り介抱してくれる。
最初は怪我したのかと思って駆け寄ったらしいのだけど、事情がわかってその後しばらくギューっと抱きしめ慰めてくれていました。
1番のテープを切りたかった。その思いが堪えきれなかったみたい。
もともと、ぴよはかけっこ早くないのです。
去年は最下位だか最下位から2番目だかだったし。
でも1番になるつもりで、休日はパパと早く走る練習して、テープを切る準備はできていたのですね。

2回目の涙は総合でぴよのいる赤チームが負けた時。
もうこれはしょうがないわ。
全体の紅白の戦いで負けた悔しさをこんなに大きく感じるなんて、私自身にはそんな感受性なかったなあと。

まあ、そんな数々のドラマも、私はとんを追いかけたりご機嫌とったりで見逃した部分も多いのですが。

悔しいこと、色々体験し、全力で挑んだ2年生の運動会でした。

ぴよ、よく頑張ったね。

【ひなたのこども】第11回 修行?

『修行?』

子どもの毎日はまさに修行!毎日が新しく知ることばかりです。

ぴよが朝、出発直前に「今日算数ないからいらないや!」と言ってランドセルから抜き出していった算数のノートと教科書。

バタバタと登校して一息ついたところで、何気なく算数のノートを覗いてみました。

「二等辺三角形」
「リットル」と「デシリットル」

おぉ、結構本格的な勉強になってきている。

1年生の時は「100までの数」とか「くりあがりのない足し算」とか、あまり勉強しなくても自然に身についていることの確認みたいな感じだったのだけど、
2年生の2学期ともなれば、もう立派な「算数」ですね。
もうすぐ掛け算の九九に入るらしい。

私は根っからの文系で数字が苦手なので、ちょっと危機感を感じ始めました。
質問されても分かりません。お風呂のお湯は何リットル?とか。

それと同時に、1年生の時のことも思い出し不思議な感覚に陥りました。

1年生って、すごく基本的なことをお勉強するんですよね。
「時計の読み方」
「数字」
「ひらがな」
道徳では「順番を守る」「仲良く助け合う」「”ありがとう”と”ごめんね”」なんていうのも。
なんとなく身についていても間違っていたり、個人差があったりする内容をきちんと授業で身につけるお勉強。
特に時計の読み方はしっかりわかっていない子が多かったらしい。
未だにひらがなも間違えたりするし。

そう思うと、低学年の子達は、読めない字も多く、時計も読めず、集団生活の基盤となる想像力も未熟なまま、小学校という集まりの中に投入されているわけです。

修行だなあ。
大人だったら不安で仕方ないでしょうね。

これが「不安」である、「恐怖」である、と気付いてしまった繊細で思慮深い子が、学校嫌いになってしまうのかもしれないですね。

ひなたのこども

【ひなたのこども】第10回 子供時代を追体験する。

「子どもの頃の感情の記憶」
大人に「どうする?」と聞かれた時の私の感情を思い出しました。
うまく生きられなかったあの頃の感情の記憶です。

子供のころの感情の記憶

最近自分が子供のころの感情を、色鮮やかに思い出すことが多くなりました。

ぴよととんの子育て中であることはもちろん、演技のワークショップで小学生~中学生を間近で見る機会を得たこともあると思います。

つい最近蘇ったのは、「大人に質問されたとき」の感情。

これは、先日のワークショップで風邪気味で体調悪そうな女の子がいて、先生に「具合悪い?できそう?」と聞かれたんだけど何も答えず、先生もほかの子たちもちょっと困ってしまった、というシーンがありまして。

その場は、日頃から気配りができて女子力の高い中学生のお姉さんが優しくサポートし、「見学してる」という答えを本人から導き出してくれて収まったのですが。
(こういう資質のある女の子、今でも本当に憧れます。)

私はといえば、大人なのに、ただ見守ることしかしなかったわけですが。
あー、大人なのにね・・・。

そんな自己嫌悪な感情もありつつ、ワークショップが終わって帰路につきました。

いつものように演技レッスンで得た充実度満点、目から鱗の内容を脳内で反復していると・・・、なぜかあの体調悪かった女の子の立場に私は入り込んでいました。

大人から、「どうする?」と聞かれたとき。

子供のころの私は、何も答えられませんでした。

なぜかというと、自分が大丈夫かどうか、考えても本当に分からないから。
やればできそうな気はする、だけどいつもと違う体調であることは確かで、これが「大丈夫」に当てはまるのか、「やめたほうが良い」に当てはまるのか。
このままやったらどうなるのか。やらなかったらどうなるのか。
先生は、ほかの子たちは、母親はどう思うのか。
・・・・そんなことをぐるぐる考えて。

普通なら、適当な見切りをつけて答えるわけです。
「大丈夫」とか、「見学してる」とか、「帰る」とか。
大丈夫かどうかは、医者じゃないし、子供だし、分からないのは当然で。
どうしたいか踏ん切りをつけて、「適当に答える」ことができるわけです。大抵は。

でも、私は、自分で言葉を使って発信することは、本当に正しくなければいけない、責任の持てることでなければいけない、みたいに多分、思っていて。
責任の持てないことは言えないのです。
だから黙ってもじもじとしてしまう。

特に大人や集団に対して。
仲良しの友達との会話では、そんなことはありませんでした。
そこが幸いだったな。

そんなシーンを何回か体験しているのでしょうね。
「私の答え待ち」の、圧力に押しつぶされそうな、シーンと静まり返った空気を、その中でグルグルグルグルと考え続ける私を、なんだか鮮やかに思い出してしまったのです。

自分の中の問題なのだから、外から見て正しいかどうかなんてないはずなのですが、そこまでは分からなかった。
きちんと正しいことを答えなきゃ。
先生から、みんなから、親から、そうだね、正しいね、と思ってもらえる答えを言わなきゃ。
自分を適当に発信することはいけないことだと思っていた。

あ、今回のワークショップのあの女の子は、私とは違うと思いますけれどね。
たまたま具合悪くて答えられなかっただけ、かもしれない。

大人になって、やっと、良い意味での「適当」の大切さが分かるのです。
今でもまだまだ、適当に対するコンプレックスは持っているのだけれど。

一つ思い出した。

小学校5年生ぐらいのころ。
授業?HR?で、給食の白衣のたたみ方が議題になってて。
「普段どうやってたたんでいるか、前に出てきてやってみて」と先生が言い、私を含んだ数名が当てられて、みんなの前に出たのです。

もちろん、私は自分でいつもやっているたたみ方がありました。
でも、それが正しいたたみ方かどうか分からない!と思ってしまって。

ほかの子は適当にたたんでスムースにこなす中、私は白衣を持ったまま、どうしてもたたむことができなかった。
いつもやっていることなのに、どうしても手が動かない。

私だけ教壇に残され、みんなが「できないの~?!」とざわつき始めます。

業を煮やした先生が「もういいよ。普段やっていないとできないんだぞ。いつも丸めて入れてんのかー?家のお手伝いとかしないんだろー。」とか、ちょっと冗談めかして言い、私は席に戻ります。

みんなが笑う中、私はニヤニヤするしかない。

いや丸めたことなんてないし。
たたんでるし。
家の手伝いするし。
という思いの中。

悲しかったけど、悲しさを出してしまったらまたそれがクラス単位で問題になってしまう。
なんだどうした?となってしまう。
それはごめんだから、ただニヤニヤして、ほとぼりが冷めるのを待つ私。

当然先生からは「引っ込み思案」「自分では何もできない」「いつも人の影に隠れている」「お母さんは甘やかしすぎなのでは?」と評価され、通知表にも書かれるわけです。

今考えると、どうしようもなくアホですね。
結果的に自分が「できない子」レッテルを何重にも貼られていくことになるのに。
それぐらい分かっているだろうに。

このエピソードをはっきり覚えているということは、自分なりに精神的ショックが大きかったのかもしれない。
自分に対する評価を気にするが故の行動なのに、かえって自分の評価を下げまくってしまう、ままならない自分。

こんなことを思い出したから、どうってわけでもないのですが。
アホだったなあ、と思うしかないのですが。

大人になった今、子育てをする今、子供に触れる機会の多い今、
私は子供の世界を追体験しているわけです。

【ひなたのこども】第8回 個人面談。

ぴよの学校の個人面談。

学校でもぴよは我が道を行っているらしい。ぴよは先生の言葉で心に留まることがあると、覚えていたり、実行したりする。たとえ自分一人でも。個人面談を機に、改めてぴよを尊敬したお話。

個人面談

ぴよの学校で個人面談がありました。ぴよの担任の先生情報:30代男性・新婚!

最初の話題は勉強関係。
国語も算数も、テストでは8割程度採れているので特に問題はないでしょうとのこと。
まあ、平均点自体80点ぐらいなんだけどね。

私が見ている限り、どちらかといえば算数のほうが好き&得意そう。
算数の間違いはケアレスミスが圧倒的だし(見直ししないから)。
掛け算が始まっているけれど、掛け算の考え方を学んだら自然と割り算の考え方も浮かんでくるらしく、計算できてしまう、ということがあるし。

国語は作文が苦手。
夏休みの日記でもそうだったけど、書きたいことはあるけれど何からどう書いてよいか分からない、書いてみても「書きたいことはこうじゃない!」と思ってしまうと筆が進まないらしいです。
なので私が
・誰とどこへ行ったか
・何をしたか
・何が一番楽しかったか
・発見したこと
などなど、箇条書きして「この通り書いてごらん」と言うと、どうにか書き始める感じです。

それを先生に言ったら、「家でも勉強を見てくださっているんですね。ありがとうございます。」とお礼を言われ、ちょっとびっくり。
私は全然勉強見ていないほうで、作文は書けなくてベソかくからやっただけなのだけど。

でも、先生の立場からしたら、そうなのかな。

授業はよく手を挙げて発言しているらしい。

というのも、今学期の目標が「授業に参加しよう」らしいのです。
ただ座って聞いているだけなのは「出席」、自分から思ったことを発言したり、授業に積極的に加わっていくのが「参加」だよ、と先生が最初に言ったそうで。
たぶんそれがぴよの心に響いているのでしょう。
クラスの目標なんだからやらなきゃ、やりたい、と感じて積極的に参加しているのだと思います。

ぴよは興味ないことは平気でスルーするけれど、心に留まったことは努力して実行しようとする、という場面がよくあります。
例えば運動会のダンスで、先生が「体でリズムとったほうが良いよ」という一言が残ったらしく、みんな棒立ちになりがちな間奏部分もぴよだけノリノリだったし。
ほかの子は関係ない、自分一人でもやりたい、やったほうが良いと思ったことはやる。
我が子ながらこの姿勢は本当に尊敬しています。

そして友人関係も、特に問題なさそう。
休み時間は女子と遊んでいることが多いみたいです。
折り紙やったり、鉄棒の練習したり。

最後に、先日の予防接種を異常に怖がって医師にも心配された、という件を言ってみたんだけど、
「うーん、注射は特別ですからね、痛いし、針とがってるし、病院の雰囲気も独特で緊張するし」
「ぴよさんは良くも悪くも一度思い込むとそれを変えることがなく、怖いと思ったら自分でますます怖くしてしまっている、という面もありそうですからね」
確かにその通り!
先生は子供のことをよく見てくれているのだな、と、改めて思い、感謝と尊敬を感じました。
その先生の分析を聞いて、そういえば歯医者さんが怖くてずっとダメだったのに、違う歯科に行ってみたら全く怖がらずむしろ楽しく通うようになったな、と思い出しました。
来年は予防接種の医療機関変えてみよう。

こうして個人面談は終了。
私と対極の性格なぴよ。
学校という社会で我が道を行くぴよに憧れの気持ちを感じた約15分でした。